shufu37’s blog

趣味と毎日と労働についてです

自分の中

起きている事象はすべての人に公平で、

その内容に意味をつけて、一喜一憂しているのは自分自身。

 

ずっと前から何かあると冷静になろう、とこの言葉を思い出していたが、すっかり忘れていた。抜け落ちていた。

これに等しいことを元Mから言われた。

 

先週のことは、落ち着いて考えてみると大したことないのかも知れない。

ただ、渦中にいるのはすごくしんどくて、

他人を責めるより自分を責める方を選んでしまう。

自己憐憫だろうか。

 

「あなたがこれまで経験して来たことは、いま身を寄せている場所よりずっと広くて、

もっと多様性があって多岐に渡っている。

それなのに、小さな世界での序列や経験に悪しきこだわりを持って偉そうに何か言う人たちに怯えて縮こまっているのは、自分に軸がないからだよ」

なんだかハッとした。

そしてその後に、

「だからと言って周りを見下してはいけない。自分と他人、それぞれである」

とも言われた。

危ない、明日から変な自信を漲らせて、嫌な人になるところだった。

 

嫌なことを言われて、それに腹が立って=自分の非を認められなくて(自分を肯定したくて)、

相手の嫌なところだけをクローズアップしていた、のかも知れない。

(それでも、やっぱり私の中では、そんなことで?って言う意識は変わらないけども)

 

まずは足元を固めよう。

そのために、変えた方がいい部分を見つめよう。

なんとなく、で過ごして来たことを看過せず、面倒臭いし、しんどいけど、

地道な努力を全然してないのも事実。