shufu37’s blog

趣味と毎日と労働についてです

地元への価値観その2

前回のブログで書いた、私の価値観。

続きを書いてみたが、かなり偏った私の意見なので、

気分を害することもご承知おきで、以下、読み進めていただきたい。

 

 

せせこましい地元が嫌いな私が、未だ付き合いのある同級生は、片手で余る。

その中の一人、C。小中学校の同級生。

同じく高校卒業と同時に地元を離れ、大都会の大学に進学、

マルチリンガルで、見た目も美しく、そして喋りが面白く、

今はとある世界企業(企業なのか?組織が正しいのか?)で働いている。

(ついでに補足すると、既婚者、猫飼い)

お互い、家を出て同じ都会で暮らしていたので、折に触れて連絡をとり、

たまに会ってみたり、メールで深夜までお喋りしてみたり、と付かず離れずの友人。

 

その子に、現在進行形である地元でのとある「集まり」についての近況報告をした。

Facebook経由でもう知っているかな、知ってたらこの話題についての考えを話し合えるし、

知らなかったら(知りたくない可能性もあるけど)、彼女の正直な意見を聞きたい、

というのもあったので、久々に連絡した。

 

さて、結果は・・・知らなかった。

そしてこの件に関しての考え方は同じだった。

正直、ほっとした。

これについて、私の考え方は薄情、傲慢、驕り、など、負の方に傾いているので、

ここまでしなくてもいいのだろうか、いや、しかしこれについてどうして私が我慢せねば?というのもあったので、Cも同じと聞いてほっとしたのである。

 

なんのこっちゃ、な話なので、掻い摘むと・・・

ここに出ている「集まり」のきっかけであり、理由は、とてもプライベートな問題を抱えた同級生の事情を聞いた数人(の馬鹿ども)が、

義侠心というか、こんな年齢になっても俺たちは変わらない!

みたいな熱い篤い友情を持ち出したことで、とても個人的な情報が同級生といえど、

不特定多数の人に拡散され、

回り回って、巡り巡って、実家から遠く離れた私の耳に入ったのだが、

それを聞いた私は

気の毒だし、いい方向へ向かっていって欲しいけど、それ、本当にその子の意思?

周りが盛り上げ過ぎてない?煽ってるの?

そんなプライベート、勝手に拡散していいの?

等々、疑問と違和感しか感じなかった、というのが正直な感想の出来事なのである。

 

前回書いた通り、今更集まって、たった今の私の生活環境やこの数年に起きた出来事を

地元しか知らない同級生に話しても、

それを正しく理解し、受け取ってくれる人がいない(と思われる)。

そこに発生するのは、羨望、嫉妬、それからマウンティング。

面倒臭いの一言に尽きる。

 

この集まりに参加してほしい、成功させるために協力してほしい、

と要請が入った時、

そんな事情なら、協力には前向きだが、できる範囲でしかできない、と先に断りを入れた。

実家から離れているのだから、協力のためには母を遠隔操作するしかない。

が、それは非常に困難だし、母が私の思い通りの結果を出せると思わない。

私がやったほうが早いが、距離、時間、経済的な問題もあって、早々にできる事ではない。

それでもその事情は由々しい問題だとわかるので、どうにかしたい気持ちも持ち合わせている。

だから、できる範囲で、と一言入れた。

追撃で、集まりには参加できる?ともあったが、

シフト制の仕事をしている私は、月末に翌月の仕事のスケジュールが全て決まる、

余程なことがない限り、変更はなく、それで進行する。

なので、この日に来て!と言われても無理に等しい。

(電車で一時間、ならば話だ別だが、新幹線乗車時間だけで三時間)

まだ確定していない日付なのに休みなんて確保できない。

 

この件を知らせてくれた友人に、正直に、上に書いた気持ち等々を返信した。

かなり厚めのオブラートに包んで。厚みは私なりの優しさだ。

がしかし、彼女の返信を見て、ため息。

何か、違和感がある。

返信をくれた友人には申し訳ないけど、一連のやり取りをCに転送したらば、

 

多分、オブラートなしでも伝わってないと思うよ。

上澄みだけは伝わったと思う、だけど真意は何一つ掴んでないね。

 

というシビアな感想。

私の感じた違和感は正しかった、と思ってこれもほっとした。

そしてCは続けた。

 

これ、あの子が書いた文章なの?いつもこう?女子高生みたい。

どうして真面目な内容の中に、絵文字や記号が入るの?

これでよく社会人務まるね、仕事、何してるんだっけ?

 

C、私が言いたかったことを先に言ってくれた。ありがとう。

以前より、この友人からのメッセージには、

語尾に小さい「ツ」や、☆などが入る。

一例を出すと

「元気してるッ?◯◯(自分のファーストネーム)は元気だよッ☆」

こんな感じ。

もう不惑なのに。

いや、20代後半からずっとそう思ってた。

一度、読みにくいし、いい歳なのにどうかと思うよ、と言ったのだが、

これが◯◯(自分のファーストネーム)だもんッ!と返信されて諦めた。

 

郷に入れば郷に従え、かの国へ遊びに来てくれた時、

ここは日本と違うから、貧富の差のある国だから、私たちは日本人というだけで、

裕福だと思われている。

観光客然としているなら尚更、外国ということを意識して、この国に敬意を払ってね。

挨拶とありがとうは、現地語で言ったほうがいいよ。

相手も気分いいし、それだけで対応は変わるよ。

斜めがけのバッグ、後ろに回さないでね、なるだけ前に。

もしそれでお財布盗られた、パスポート落とした。

そうなったら悲しいのは自分だけじゃなくて同行者も悲しいよ。

そのあと、ずーっとナーバスになるんだよ、と断った。

でも、何度もバッグは後ろにするし、挨拶もろくにしない。

ため息。

旅行しに来たのはわかる。その通り。

でも、最低限のマナー、何も読んでない。

手にあるガイドブックには、きちんと書かれているのに。

 

この子はそうやって、何も知ろうとせず、見ようとせず、

成長を止めてしまったんだ、と感じた。

大げさかもしれないが、そう思えてしまった。

 

話題から逸れてしまったが、この出来事もあって、地元の同級生の集まりは

こんな風に感じることが山のようにあって、何も楽しくなく、

私は一方的にスポイルされるんだろう、と予想している。

 

「集まり」の根源は善意である。そう思いたい。

だけど、かつて連んでいた同級生が起こした不祥事を、

わざわざFacebookで拡散させるような人たちが企画するそれは、本当に善意なのか。

自己満足ではないのだろうか。

とても個人的な理由を種に、自己肯定したいだけでは?

その道具に、理由に使っているように感じる。

同調圧力、いくつになっても変わらない俺たち、に対する違和感。

私の感性の方が彼ら彼女らにとっては違和感なのかもしれない。

 

正解は分からない。

ただ、私が不正解であったとしても、それについて、私は何も感じない。

この集まりに出る気もない。